2022年7月8日(金)
同盟基督教団
中野教会
2022年7月8日(金)同盟基督教団中野教会にて聖書と精神医療研究会の理事会および研究会が開催されました。
研究会では今年度の研究テーマを踏まえて上山代表理事から「教会が持続可能な存在となるために」、河村理事から「格差社会と持続可能性」というテーマで発題がなされました。
教会が持続可能な存在となるために
(上山師)
『SDGs(持続可能な開発目標)はコロナ前に国連サミットにおいて採択された今後の世界のあり方を見直す目標ですが、このコロナ禍でさらにその意識と実際の必要性に拍車をかけた形になっています。豊かさというもとで膨れ上がった不必要なものがそぎ落とされ、浮かび上がってくる「本当に大切なもの」、「次世代に残すべき価値あるもの」それこそが持続可能とすべき物ごとの本質です。こうした意識が私たちに芽生えたならば、それはまさにコロナが生み出したプラスの産物と言えるのではないでしょうか。教会の存在の意義や働きの内容においても、また私たち聖書と精神医療研究会のこれからのあり方についてもいつまでも残る「本当に価値あるもの」を見極めていきたいと願っています』(上山師)
研究会では、上山師によって上記の問題提起がなされた上で、「真に価値のあるもの」とは何かを考え、コロナ禍における現代やこれからの教会の在り方と活動を考える機会を持ちました。
格差社会と持続可能性 (河村師)
河村師は「格差社会と持続可能性」というテーマのもと「コロナ禍の教会訪問を通して感じたこと」と「マタイ5:13における地の塩のメッセージ」を通しての考察を発表されました。
(1) コロナ禍の教会訪問を通して感じたこと
コロナ禍になって様々な問題が教会に生じて来ています:経済的困窮、環境面の課題(半導体不足の影響)、伝道マインドの低下、ニューノーマルな教会活動・牧会から来る牧師家庭内の問題(コロナ前を上回る牧師の忙しさ、子どもたちの教会生活の変化)。
こういった状況の中にあっても独自の発想で教会活動や経済面における持続可能性を見出している教会もありますが、そのような取り組みには特別な知識や経験が必要とされます。
このような現状の中で、教会や牧師にケアやサポートが必要である状況を確認しました。
(2) 地の塩
『あなたがたは地の塩です。もし塩が塩気をなくしたら、何によって塩気をつけるのでしょうか。もう何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけです』(マタイ5:13)
教会には「地の塩」としての2つの役割(味付け・防腐剤)が与えられています。
『私たちが連なる教会が、コロナ禍の厳しい時代の中にありながら、尚も神の御心に忠実に生きようとするのか、それとも未曾有の疫病に耐えられず、歴史的使命を終え、もはやサスティナブル(持続可能性)を求められる存在ではないとして、外に投げ捨てられるのか。一つの教会が無くなっても、その地域社会が痛くも痒くもないと思われるような状態になっていたとしたら残念なことです。そうなる前に教会自らの「塩」としての役割を改めて考え直したいと思います』(河村師)
SDGsは「誰ひとり置き去りにしない」(no
one will be left behind)という精神を掲げていますが、感染力の強いコロナウイルスの故に人々は孤立を強いられています。またコロナ前から進行の一途を辿っていた社会における格差の問題はさらに深刻化している状況です。このような時代にあって教会はどのように地の塩としての役割を果たすことができるのかを考える時間を持ちました。
今回の研究会の発表内容はこの秋発行のジャーナルにも掲載予定です。