2021年2月5日(金)リモートで聖書と精神医療研究会の理事会および研究会が開催されました。
研究会では浜田が、年間テーマ「虐待と福音」を踏まえて「スマホ・ネグレクト」の問題をとりあげ、発表しました。
スマホ・ネグレクト
これまでも「青少年のスマホ依存」について考える機会を持ってきましたが、現代においてスマホ依存は青少年だけの問題ではありません。スマホ依存の状態に陥っている大人も多く存在します。特に「子育て世代のスマホ依存」は、子どもの成長にも深刻な影響を及ぼす危険性があり、問題を認識する必要を感じています(私自身当事者として)。
親がスマホに熱中することによって、結果的に子どもは無視され、放置されてしまいます。例えば、赤ちゃんがお母さんを見つめていても、親がスマホに気を取られて視線を返してあげられない、という状況が生まれます。日常的にこういった情緒的応答・つながりの得られない状況が続いてしまうと、子どもは健全に成長できなくなってしまいます(愛着障害、共感能力など社会性・人間関係に関わる力が育まれない)。
幼少期に親子関係を通して「心の土台」を築くこと(非認知能力を育むこと)は、(後からでも身に着けることが可能な)認知能力を育むこと以上に大切であると言われています。※参考:諸富祥彦著「プチ虐待」の心理(青春出版社.2016年)
クリスチャンであれば「信仰」こそが「心の土台」であると考えますが、スマホ・ネグレクト状態に陥ってしまうことによって、子どもの健やかな成長を妨げてしまうことや、信仰継承の機会を失ってしまうことのないように気をつけたいと思います。
『これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。 あなたが家で座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きるときも、これを彼らに語りなさい。これをしるしとして自分の手に結び付け、記章として額の上に置きなさい』(申命記6:7〜8)
「主のことば」であり「主への信仰」であるべき『これ』が「スマホ」になってしまうことがようにしたいと思います(歩きスマホ、寝ながらスマホ、手に結び付けられたスマホ)。
研究発表の後、参加者たちで、教会における「非認知能力を育む機会」についてディスカッションをしました。
「礼拝」や「教会学校(日曜学校)」は非認知能力が育まれていく機会となる可能性を内包しつつも、プロテスタント教会のプログラムや説教は論理的・理屈的側面が強い傾向にあり、その機会を活かしきれてはないのではないか、もっと非認知能力を育むことのできる機会を用意する必要があるのではないか、という意見も出ました。
引き続き、「スマホ・ネグレクト」「青少年や大人のスマホ依存」の課題、また「教会ができること」を考えていきたいと思います。