2019年2月8日(金) 同盟基督教団 中野教会にて
2019年2月8日(金) 同盟基督教団 中野教会にて聖書と精神医療研究会の理事会および研究会が開催されました。
研究会ではHP担当の浜田が、継続的に取り組んでいる「青年のネット・スマホ依存」についての発表をし、意見交換の時を持ちました。
ネット・スマホの性質を様々な研究材料をもとに確認し、同時に聖書から人の内にある「罪に惹かれていく支配原理(ローマ7:14-25)」を確認していく時に、「ネット・スマホ依存は必然ではないか」という一つの結論を見出さざるをえません。
それにもかかわらず、スマホ・ネット依存の弊害を感じつつも、その利便性と魅力の故に、問題を脇に置いたまま使用し続けてしまっている(子どもに与えてしまっている)現状があるようにも思います。
ネット依存の予防・回復の第一段階として、ネット・スマホ・オンラインゲームやサービスに、また私たちの内側に「どのような問題・課題・危険があるのか」を的確に捉えていく必要を覚えます。(私たちはネット世界に潜在するリスクをほとんど知らないまま、フル稼働させてしまってはいないでしょうか?)
常に「教会として何ができるのか」また「神の御前に生きる人間の在り方」という視点を持ちながら、ネット・スマホ依存のメカニズムを聖書を確認しながら解明していく作業に今後も取り組んでいきたいと思う中にあります。
その一環として、今回は、ネット・スマホに潜在する「依存を誘発する要素」を確認し、考える時間を持ちました。(スマホやインターネットサービス、オンラインゲームには、依存症を誘発するような仕組みが施されていると言っても過言ではありません)
主な参考資料
メアリー・エイケン著「子どもがネットに壊される」ダイヤモンド社(2018年)
発表後の意見交換の場も、様々なことを教えられ、考えさせられる機会へと導かれました。
発表の中で、スマホ・ネット(サービス)には、人の基本的欲求を刺激し、それを繰り返し行わせる要素がいたるところにあることを確認しましたが、依存症に至る危険性を持つ「人の基本的欲求」が、「果たしてすべて堕落の影響を受けた病的なものであると言えるのか?」「そこには、神が人に与えてくださった善き欲求と呼び得るものもあるのではないか?」「どこまでが病的であり、どこまでが健全であるのか?」の見極めが必要であるということ。また「依存症」という言葉にはマイナスなイメージがありますが、「神に依り頼む信仰を神に対する健全な依存と表現することはできるか?」等といった課題を、検討することができました。
学びを深め、整理したことを、ジャーナル等に寄稿し共有することが許されましたら幸いです。
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